Alternative Space Neccoとのつながり

1.大人の発達障害を知って

私は千葉県の農業法人に勤めていました。そんな中、2011年2月にダイヤモンド社のネット記事に「空気が読めないのは大人の発達障害の可能性が」という内容を読むと、なんと該当することが多くて驚きました。なんでも、発達障害は心の問題ではなく脳の問題であるというのです。これを見て、一度精神科に見てもらう必要があると考え、近くの精神科へ行きました。
ところが、その病院の医師が言うには、「発達障害なら、高校を卒業できないよ。あなたは何も問題ないよ。」と一蹴されました。ネット記事をプリントしたものを出して、この内容についてはどうか、と聞いても、「そんなことは知らない。」と理解しようともしませんでした。

2.東日本大震災とパワハラの日々

2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。もちろん、売上が落ちて法人内の空気も悪くなりました。そして、「お前なんか努力しないから変わらないんだ!!」とか「パニックにならない努力をしなさいよ!!」等と、罵声を連日浴びる日々が続きました。さらに、終業時刻になると、まだ仕事が残っているのに「時間が来たぞ。そんなことしている暇があったら帰れよ!!」と、パワハラに苦しむ状況に、心が蝕まれていきました
そして、5月中旬になり、ついにうつ状態になって食欲がなくなり終日寝込む状態になった時に、一条の光を求めるがごとく「大人の発達障害」に関する内容を検索して見つけたのが、茶話会の「ほんわかカフェ」でした。

3.Neccoとの出会い

当時は毎月第3土曜日の昼に、公民館の和室を借りて行う事になっておりました。朝に富里からバスで東京へ行き、月島に向かって、近くの佃公民館へ不安を抱えながら和室に入ると、スタッフ2人だけがいました。私を含めて3人で話しました。夕方になり、3人で高田馬場に向かい、西早稲田のAlternative Space Neccoへ行きました。夜は、茶話会「クリエーション」がありました。思いの丈を話し、生きづらさを打ち明けました。
それ以来、失業している中でもほぼ毎週のように、Neccoに行きました。この時は、今のようにカフェ営業は行っておらず、終日フリースペースとして開放されていました。9月には昼にカフェ営業が始まり、後に別の部屋に作業所も新設されました。
一方、精神科は別の病院に診てもらうことになり、心理テストも受けて診断結果を待ちました。しかし、結果は「診断がつかない」とのことでした。これでは、条件の厳しい一般枠での就職を探すしかありません

4.一か八かで東京都に移住

2012年3月にNecco仲間の紹介で別の精神科に通うことになりました。しかし、場所は東京都です。一方、就職もハローワーク職員が「県内の近場ならともかく、長距離通勤になる東京都内は厳しい。」と言っていました。それまでは、就職してから移住しようと考えていましたが、これでは何時まで経っても移住できません順序が逆だと考えた私は、6月に大バクチをかけるがごとく、独断で東京都台東区のシェアハウスに移住しました。
さらに、Necco仲間の情報で、障害者手帳取得の診断書の初診日は、今の病院からの起算ではなく、最初の病院からの起算という、ありがたい内容を聞きました。そうなると、初診日は2011年7月25日なので、もう10ヶ月経っています。つまり、初診日半年以降という条件をクリアしています。そうなれば、病院に診断書を書いてもらって申請するしかありません。こうして、9月に自立支援医療受給者証と同時に障害者手帳(3級)を取得しました。
この時に、改めて人間関係のありがたさ・大事さを痛感しました。

5.グループホームの職員になる

Neccoでは、大人の発達障害者のための受け皿を構築していますが、住居確保が困難な当事者がいる現状から、発達障害者向けのグループホームを開設することになりました。一方、私もNeccoに世話になってから1年半になり、今までは「支援される側」でも良かったのですが、これからは「支援する側」にならなくてはならないと考えていました。そういった中、理事長から声がかかり、大喜びで11月からグループホームの職員になりました。また、住む場所も新宿区に移りました

6.そして今、当事者ながら日々頑張る私

2013年3月からは、作業所の職員も兼任しています。パソコンが得意なので、それを活かしつつも利用者のサポートに努めています。もちろん、至らない点は多々ありますが。
こうして見ると、茶話会である「ほんわかカフェ」や「クリエーション」がNeccoつながりの原点なのです。今も生きづらさを感じる方々や発達障害に苦しむ方々は、たくさんいます。私もそんな中で、コミュニケーションの楽しさを生まれてはじめて知ったのです。
この関係が無かったら、今の自分は無かったと断言できます。もしかしたら、こうして生きてもいなかったかもしれません。本当に、Neccoの皆さんには感謝しても、し過ぎることは無いほどです。